言いたい放題映画レビュー*真夜中のカウボーイ
f0122159_19323159.jpgあまりにも有名なニルソンの主題歌『噂の男』で始まる、アメリカン・ニュー・シネマを代表する作品。
大都会の片隅で生きる、二人の男の「孤独」を描いた秀作です。

原 題 midnight cowboy(1969年アメリカ)
監 督:ジョン・シュレシンジャー
製 作:ジェローム・ヘルマン
原 作:ジェームズ・レオ・ハーリヒー
脚 本:ウォルド・ソルト
音 楽:ジョン・バリー
出 演:ジョン・ヴォイト ダスティン・ホフマン シルヴィア・マイルズ ジョン・マッギーヴァー

ベトナム戦争が泥沼化し、アメリカ国民が国家への信頼を失い始めた60年代後半。
巨額の費用を投じて絵空事を描いてきたハリウッド映画への反発なのでしょうか?
反体制・反社会的な若者達の日常や心情を描いた作品が注目されるようになります。それは、これまでハリウッドが描くことがなかった暴力だったり、ドラッグだったり、自由なセックスだったり、心の自由だったり。手を延ばしても届かない何か、無力、絶望感。。。だったり。それらの作品には大スターが出ているでもなく、ハッピーエンドでもない。自分にも隣の誰かにも当てはまるような、非現実的ではあっても他人事ではない作品。
この時代に登場したこんな作品群をアメリカン・ニューシネマ(new hollywood)と言うそうな。
本作はアメリカン・ニューシネマを代表する作品として高く評価され、後にも先にも「アカデミー賞で作品賞を受賞した唯一の成人映画」としても有名な作品です。
アメリカン・ニューシネマを代表する作品、ってのは知っていたけれど、こうした背景はたった今知りました(笑)。
てへ(照)。

初めて観た当時のワタシは。。。中学生だったでしょうか。30年くらい前のことです(笑)。
ワタシがこの作品を観る以前から、ニルソンが歌う有名な主題歌が何かのCMで使われていたこともあって、その時の先入観(無骨で爽やかなテキサス男のイメージ(笑))を持ったまま本作を観ましたっけ。
なもんだから、ジョン・ヴォイド扮するジョーの夢が、大都会の女性を慰める男娼だとは夢にも思わなかったですねぇ。「真夜中のカウボーイ」という題名から当時のワタシが勝手にイメージしていたのは、大都会で暮らすテキサス魂が抜け切れない男のお話だと思っていました。
まぁ、大人になったいま再び観て、当初の勝手なイメージとは正反対だったとは言い切れませんが。。。
とにもかくにも、初めてこの映画を観た時の感想は、勝手に作り上げたワタシのイメージとはかけ離れており、子供のワタシには「しょーもない大人の寂しい映画」として記憶の彼方に追いやってしまったのでした。

ところが最近、この映画のDVDを行く先々で眼にするようになって。
「もう一回観てみなよ」というサインなのかしら?と感じ、昔は到底理解出来なかった本作を借りてみることにしたのです。

以上前置き。長くってスミマセン。。。

テキサスの田舎町から大都会ニューヨークに意気揚々と乗り込んできたジョー。彼が描いていたニューヨークは、テキサス男がモテまくる都会のユートピア。
そんなユートピアで、都会の寂しい女達の相手をして大金を稼ごうってのが彼の目的だ。
どう大目に見ても田舎っぺ丸出し、そのカウボーイスタイルが痛々しいっちゅーのに、これこそがオレの魅力を最大限にアピールできるスタイルだと信じて疑わない。
しかし現実はそう甘くはなく、してやったりするハズが「してやられる」。
けれどもそこは田舎男の純粋さ?とでも言うか、女を相手に金を稼ぐという意志だけは真直ぐで揺るがないのだ。
あぁ身の程知らずで哀れな男。バカを通り越した大バカ野郎(笑)。

都会に裏切られ傷つき、社会の底辺に転げ落ちていくジョーだが、どこか他人事のように飄々として見えるのは、テキサスの田舎町出身という大らかさから、なのかな?
ジョン・ヴォイドの濁りのない眼、ムチムチと血色のいい頬、根っからの天真爛漫さを体現する長い手足が、ジョー役には絶対不可欠だったのかもしれません。
映画の後半からはもう粗大ゴミのような成りで匂いまで漂ってきそうなのに、腐っても鯛ならぬ「腐ってもジョー」。ジゴロを気取るだけのことはあって、最低限の品格は保たれているのだから不思議です。
(たびたび挿入される回想シーンで、ジョーには苦い過去があることを匂わせますが、それすらも彼にとっては過ぎたこととして記憶の彼方に封じ込めているようです。ジョーという男を説明する場面として必要だったのでしょうが、映画的には大意はないような気がします。どうでしょう?>誰に聞いてんだ?)

そんなジョーを騙しながらも、同病相憐れむというか類友というか、孤独を舐めあう間柄になっていくラッツォに扮するのはダスティン・ホフマン。いうまでもなく名優ですねぇ。いやー、再認識しました。これまで観てきた彼の作品の中でイチバンかもしれません。もしかしたらこの時既に役者としては頂点に達していたのかもしれません。それっくらいにラッツォという男を自分のものにしています。
ジョーとは反対に、腐って腐って悪臭漂い、奈落の底へ落ちていく哀れな男を熱演しています。
姑息なネズミ男ラッツォは、彼以外には考えられません。彼が演じることによって、演技ではない現実感がこの映画に吹き込まれたかのようです。
彼もまたユートピアに憧れている男であり、かの地はフロリダ・マイアミです。そこへ行けば悠々自適な生活が待っていると信じている、これまた哀れで身の程知らずな男なのです。

ジョー&ラッツォ。都会の片隅で生ゴミのように腐っていく男達。
屈辱と絶望を味わったカウボーイ衣装を脱ぎ捨てた後、ジョーは臨終間際のラッツォに話しかけます。
映画はマイアミの地に降り立つ直前で終幕となりますが、それは目的地直前で何かを悟ったジョーの心情を代弁するかのようであり、総じて「ユートピアなんてないんだよ」と言っているようでもあり。
手を延ばしても届かない何か、それでも焦がれずにいられない何か。
それら全てが泡のように消えてゆく現実をしかと受け止めることが出来たなら、人生の次のページは既に開かれているのかもしれません。心も身体もこざっぱりとしたジョーのように。

苦い後味に居心地の悪さを感じなくもないですが、ジョー&ラッツォに通ずる要素は、確かにワタシの中にも存在します。この映画は、非現実的ではあっても決して他人事ではない、ワタシ達のシネマなのです。
もしいま人生に迷っている人が本作を観たら、既に手にしている小さな幸せに気付くことが出来るかもしれませんね。

この映画を観ずしてワタシの映画勧賞人生を終えなくて良かった、そう思わせてくれる作品でした。
観て良かった。出合えて良かった。
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by pugslife | 2007-03-07 19:34
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